
【ライブ】坂本花織選手が引退会見 「やり切った」20年の競技人生と、これからのコーチ人生へ
坂本花織選手が引退会見に臨み、20年にわたる競技人生を振り返りました。引退を決断した理由、日本代表として戦った意味、神戸を拠点に続けてきた思い、そして今後はコーチとしてスケート界に恩返ししていきたいという考えを、自身の言葉で語っています。
🎥 会見動画(ノーカット)
- 00:00 花束贈呈・会見開始
- 02:01 坂本花織さんの冒頭あいさつ
- 03:14 現在の心境と引退を決めた理由
- 05:10 日本代表として戦う意味/オリンピックを一言で表すと
- 07:00 20年のスケート人生はどんな日々だったか
- 07:41 これからの人生で成し遂げたいこと
- 08:46 一番思い出深い大会
- 11:05 神戸を離れなかった理由
- 13:13 笑顔とポジティブさの秘訣
- 15:02 今の心境は「やり切った」か「またやりたい」か
- 16:26 地元・神戸の人たちへ
- 18:21 ここまで続けられた原動力
- 20:49 りくりゅうの引退について
- 22:49 これからのフィギュア界と白い衣装を選んだ理由
- 24:58 4歳の自分と、お母さんにかけたい言葉
- 27:12 どんな指導者になりたいか
- 28:47 子どもたちに一番伝えたいこと
- 31:40 21年という時間はどんな時間だったか
- 34:06 一番好きだったプログラムと、一番苦労したプログラム
- 36:32 仲間を巻き込み、みんなで頑張りたいと思ったきっかけ
- 39:37 周りの選手や仲間に支えられた瞬間
- 41:59 自分の武器・持ち味を一言で言うと
- 44:46 一番苦しかった時期と、それをどう乗り越えたか
- 49:08 性格やキャラクターは競技にどう影響したか/引退後に一番食べたかったもの
- 54:00 神戸・関西でスケートを盛り上げたいか
- 55:11 人として大事にしてきたこと、これから教えたいこと
- 57:58 質疑応答終了
出典:YouTubeチャンネル「FNNプライムオンライン」
※発言内容は会見動画をもとに要旨を整理して掲載しています。全文の逐語録ではありません。
会見の冒頭では、シスメックス株式会社の家次恒会長から花束が贈られました。家次会長は「坂本さん、あなたは日本の誇りですし、まさに神戸の誇りです」とたたえ、長年の活躍への感謝と、今後の後進指導への期待を伝えています。花束贈呈のあと、フォトセッションを経て、正式に引退会見が始まりました。
ありがとうございます。
本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。
そしてシスメックスの皆さま、このようなすてきな場を設けていただき、本当にありがとうございます。
シスメックスをはじめ、すべてのスポンサーの皆さま、そして関係者の皆さまに、これまでたくさん支えてくださったことをとても感謝しております。
本日は、今までの感謝をたくさんお伝えできたらいいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
現役生活、長い間お疲れさまでした。
常々、現役最後の時を迎えるなら、晴れやかな表情で終えたいとおっしゃっていましたが、今この会見の場に座って、実際どのような心境でいらっしゃいますでしょうか。
本当に、現役の間は練習だったり試合だったりで、たくさんの感情に動かされて、その結果に一喜一憂することがすごく多かったんですけど、今こう改めて、自分が競技者じゃない立場でリンクに立っているのを客観視してみると、現役で一生懸命練習するっていうのは、すごく青春なんだなって改めて感じています。
去年、引退を表明される時には、もう25歳だということもおっしゃっていたと思います。
一方で、今年の世界選手権では自己ベストを更新して優勝されました。まだまだできるのではないか、という見方もあると思います。
改めて、現役引退を決断した理由をお伺いできますか。
正式に引退というのを発表したのは、このシーズンが始まる直前だったんですけど、自分の中では、北京オリンピックが終わって「あともう4年目指します」と言ったところで、だいぶもうこの4年がラストだなと思っていたので、自分の中ではもうそこで腹をくくっていました。
これまで4回の世界選手権優勝、そしてオリンピックでは合わせて4つのメダルを獲得されました。
坂本選手にとって、日の丸を背負って世界で戦うということはどういう意味があったのでしょうか。
また、オリンピックという舞台を一言で言うと、坂本選手にとってどのような舞台だったでしょうか。
12歳で初めて国際試合に出させてもらって、やっぱりジュニアの頃はなかなか成績が伸びず、ジャパンジャージを着て泣いていることがすごく多かったんですけど、シニアに上がってからオリンピックに出られたり、世界選手権に出られたり、メダルが取れたりという中で、だいぶその自覚というか、日本代表としてしっかり自分のやるべきことをやること、そして周りのみんなにも頑張ってほしいので、みんなも巻き込んで「みんなで頑張ろう」という気持ちが徐々に芽生えていきました。
オリンピックを一言で表すと……私は「守り」かなって思います。
どうしても、ここでミスしたくないっていう気持ちが一番出てしまう試合なので、なかなか過去3大会、攻めきれずに終わってしまったかなというのがあるので、「守り」です。
およそ20年にわたるスケート人生だったと思います。
先ほど「青春」という言葉もありましたが、この日々は坂本選手にとって振り返るとどのような日々だったでしょうか。
そうですね。やっぱりもう、かけがえのない時間ですし、先生に怒られて「なんでやねん」って思いながら毎日頑張っていく、その過程が、その時にしかできないことだったので、今思うと、なんか今の自分には物足りないな、みたいな感じはちょっとします。
これからはコーチとして新たな人生を歩まれると思います。
これからの坂本花織選手の人生について、抱負や意気込み、こういうことを成し遂げたいという夢があれば伺えますか。
将来的にはそのコーチ業の方にもちろん専念していくんですけども、まだ自分が動けるうちはアイスショーに出たり、いろいろお教室もやる予定なので、そこで、もっとスケートをしてもらえるきっかけになればいいなと思っています。
現役生活を振り返って、この大会だ、という一番思い出深い大会があれば教えてください。
その理由もお願いします。
パッと思い浮かんだのが2つあって、2022年のモンペリエでの世界選手権と、本当に一番最後のチェコでの世界選手権が一番記憶に残っています。
モンペリエの世界選手権は、北京オリンピックで初めてメダルを取って、その1か月後にもう一度ピークを持っていかないといけないという、本当にオリンピックも世界選手権も出る人しか分からない苦労があって、メンタルも結構崩れながら、それでも必死に頑張って練習して、先生もそれを受け止めて、厳しい言葉をかけるところを慰めてくれたりもして、自分もなんとか前向きになって、最終的に初めて世界チャンピオンになれたというのが一番記憶に残っています。
最後のチェコの世界選手権については、もう言わずもがな、皆さんが思っていることと一緒だと思います。
有終の美をしっかり飾れた大会でした。
神戸から一度も出ずに現役生活を貫いたと思います。
いろんな選択肢があったと思うんですけれども、それを選んだ理由と、その気持ちを教えていただけますか。
神戸から離れなかったというか、離れられなかったというか。
振り付けや合宿で海外に行く機会も多かったんですけど、現地の先生に習っていて、もちろん技術面の指導では本当に分かりやすいし、すごくいいなって思うんですけど、やっぱり中野先生、グレアム先生を超える先生がいなくて。
この二人がいるからこそ、自分もこうして世界で戦えるようになったと思うので、自分にとってこの二人は欠かせない存在です。
神戸から出る選択肢は全くなかったです。
それは技術指導というよりも、人間性の部分まで見てもらえる、という意味合いですか。
そうですね。
中野先生、グレアム先生は、フィギュアスケートの技術だけじゃなくて、やっぱり生活のことも、生きていく上でのマナーとかも大事になってくるので、そこを本当にたくさん教えてもらって、今もやっぱりその教えに助けられて、世に出ても恥ずかしくないように育ててくださったので、なんとかまともに生きていけてます。
坂本さんといえば、その持ち前の明るい性格、ポジティブシンキングが試合でも生きていたと思います。
笑顔の秘訣や、ポジティブシンキングになるために心がけていることを、後輩に笑顔のバトンを渡す意味でも教えてください。
無理やり笑顔を作ろうと思ってるわけじゃなくて、今の状況が楽しくて笑っちゃってるので。
もちろん試合とかで納得いかないことがあったら、練習でも試合でも泣きますし、今シーズンは特にいっぱい泣いてきたんですけど、でも泣くのはその日だけにして、次の日には「こうなってしまったのは仕方ないから、もうやるしかない」という気持ちでいつも切り替えていました。
暗い気持ちだと、どんどんマイナスな方向に引っ張られてしまうので、「ここから勝ち上がれたら自分かっこよくない?」みたいな感じで、そこからポジティブに考えて「よし、やるか」という感じでやっていました。
現役生活を振り返って「青春だった」というお話もありましたけれども、今現在の率直な気持ちとして、「やり切った」という思いなのか、それとも「またやりたい」と思ったりするのか、今の心境はどのようなものでしょうか。
現時点の心境は、もちろん「やり切った」という気持ちが一番あって。
ただ、貸し切り練習に入ってみたりして、曲かけしているのを見たり、ジャンプの練習をしているのを見たりすると、自分もちょっと跳びたいなっていう気持ちはやっぱりあるので、競技者って特別だなっていう気持ちと、でももう自分はそれには戻れないんだなっていう寂しさが、ちょっとだけあります。
神戸を一度も出ずに、地元で現役生活を続けられました。
神戸にも坂本花織選手を応援してきた市民の方、憧れてスケートを頑張ろうという後輩たちがたくさんいます。
こうした地元の人たちに向けた思いを聞かせていただけますか。
私は幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、全部神戸市内の学校に通って、本当にいろんな先生からたくさんのことを教わってきました。
地元の子たちも、久しぶりに会ったら「元気?」みたいな感じで、昔と変わらずたくさんしゃべってくれたりしますし、周りの方たちも、自分は知らなくても「花織ちゃん、よく頑張ったね」って通りすがりにすごく声をかけてくださったりして、そういうのを聞くとすごくうれしいです。
この前お教室をやった時も、「スケートを見てやってみたいって子どもが言うので連れてきました」という話を聞いて、それだけやっぱりオリンピックの影響もすごくあったんだなと思いました。
ここからどんどん競技人口が増えてくれたら、すごくうれしいなって思っています。
小さい頃からスケートを始めて、苦しい思いも壁に当たったこともあったと思いますが、その中でここまでスケートを続けることができた支えや原動力は、改めて振り返ってどんなところだったでしょうか。
常に中野先生から「次は何々を目指そう」っていう、自分も「そうだな」って思えるような具体的な目標を言ってくださることがまずあって。
ノービスの時には「ここで表彰台に乗れたら全日本ジュニアに出られるかもね」と言われて、絶対出たいという気持ちで出られて、ジュニアの時も「世界ジュニアで表彰台に乗ったらシニアに上がった時にグランプリ2戦もらえるかもね」みたいな感じで、それでしっかり表彰台に乗って、みたいに、自分が頑張れば届きそうな目標を常に先生が掲げてくださっていたので、それに向けて自分も頑張れたのかなと思います。
それと、練習漬けになってしまうと、頭がパンクしたり、やる気はあっても体が動かなくなったりっていうこともあるので、それこそ高校や大学に行ってリフレッシュして、みんなが頑張ってる姿を見て「自分ももう一回頑張ろう」って思えたりもしたので、本当にいろんな周りのサポートしてくれる子たちからも力をもらいました。
特に中野先生、グレアム先生が「やればここまでできるんだ」っていう目標を掲げてくださったのが、一番ここまで来られた要因かなって思っています。
りくりゅうのお二人も引退を発表されました。
正式発表を見たり聞いたりして、どんなことを思ったのか。
また、もしお二人と遊びに行く計画などがあれば教えてください。
引退することは割と前から聞いてはいたので、いつニュースに出るかは知らなかったんですけど、今シーズンで、というのはずっと二人が話していたことなので、「じゃあもうラスト、一緒に頑張ろうね」っていう話をしていました。
私のオリンピック個人戦フリーが終わって集まった時も、「もうやっと終わった」みたいな感じで言ってたので、すごい晴れ晴れとした顔で、全く悔いなくっていう感じだったので、なんか二人らしいなって思いながら、会見もテレビで見ていました。
龍一くんが泣いているのも、ちょっと笑ってしまって。
本当にお疲れさま、という気持ちで見ていました。
遊ぶ予定は、今のところ決まってないです。
りくりゅうも引退を発表されて、鍵山選手も男子で休養を発表されて、これからのフィギュア界について思うことを教えてください。
あと、今日の白い衣装を選ばれた理由もお伺いしていいですか。
本当に、来シーズンはジュニアから上がってくる選手もたくさんいますし、上の世代が抜けて、特に全日本は誰が勝っても初優勝なので、そこが一番楽しみだなっていう気持ちがあります。
あと、アイスダンスも選手が増えて、カップルが増えて、本当に誰が勝つか分からないぐらいレベルの高いカップルが多いので、本当に今年の年末の全日本が楽しみすぎます。
衣装については、特に理由はなくて。
どうしても黒になっちゃうと、表彰式とか、ちゃんとした正式な場で着ることが多いので、今回は白でもいいかな、みたいな感じでこれになりました。
今日の冒頭のVTRでも、小さい頃の映像や写真がたくさん流れたと思うんですが、それを見てどのように感じられたのか。
また、4歳の自分に今の立場で声をかけるとしたら何と言うのか。
そして、その頃に始めさせてくれたお母さんに対して、今の立場でどういう言葉をかけるか教えてください。
小さい頃の写真を見て、どれも笑顔で滑ってるので、本当に楽しそうだなって思いました。
やっぱり、やりたいって言って、本当にこけても笑ってる人だったので、とにかくスケートが好きで、ただただ好きで頑張れてたんだなっていうのを、ちっちゃい頃の写真を見てすごく感じました。
その頃の自分に声をかけるとしたら、「そのまま、のびのびやってなさい」って言いたいです。
それと、スケートをやりたいって言って本当にやらせてくれたお母さんには感謝しています。
小学生までは県内に通年のリンクがなかったので、夏場は大阪まで毎日通っていたんです。
朝早くから、夜、日付が変わるまで練習していたので、本当に夜中まで眠たい中で運転してくれたり、成長期に体重が大きく増えないように食事管理もしてくれていたので、すごく感謝しています。
これまでずっと取材していて、良いことだけじゃなくて、悪いことがあって泣いている姿も印象深かったんですけれども、これからコーチとして活動していく中で、自分の経験も踏まえて、どんな指導者になっていきたいですか。
分かりやすく言うと、中野先生みたいな先生にはなりたいなとは思っています。
技術のことだけじゃなくて、人間性の部分でもしっかりいろいろ伝えられたらなとは思っているので。
まだまだ人間性の部分では自分も未熟なところがあるので、そこはきっと中野先生から私も学ぶと思うので、そこをしっかり吸収して、次はそれを後輩たちに教えていけるように。
技術面では、それぞれの子に合った指導をできるように、今は本当に先生の言葉を聞いて、その子の演技を見て、「あ、そうなんだ」と思いながら勉強していて、それをどんどん自分らしく指導できるようになれたらいいなと思っています。
これまで現役生活で、辛くても努力した時間や、大舞台で味わった喜びや悔しさなど、いろんな経験をされてきた中で、これから子どもたちに一番伝えたいことは何になりますか。
伝えたいことは……自分も特にめちゃくちゃ器用で何でもできるわけじゃなかったので。
ちっちゃい頃は、今では「花織といえばアクセル」って言ってくれるぐらいのものにはなってるんですけど、それでもアクセルを跳べるまでに2年ぐらいかかったりとか、できるまで本当にいろいろ試行錯誤して、できる人に教えてもらったりとかしていたので、できないからってすぐ諦めないでほしいなっていうのは伝えたいです。
周りの人が何と言おうと、自分がスケートをやりたい、勝っていきたいって思うんだったら、一生懸命やるしかないんだよっていうのを伝えたいかなと思います。
ちなみに、そのメッセージカードに込めた思いはどんなものがありますか。
記者の皆さん、報道の方も、いろんな形で私の言葉や思いを文字にしたり映像にしたりしてくださって。
それに加えて、取材の時に私の雑談にもたくさん付き合ってくださって、もう終わりですよって言われながらもベラベラしゃべっていたのがすごく楽しかったので、その感謝の気持ちも込めて、と思っています。
4歳からスケートを始められて、もう21年ということですけれども、この21年という時間は坂本選手にとってどのような時間でしたか。
初めはスケートの頻度ってそこまで多くなくて、むしろ水泳の方が主だったんですけど、気づけばもうスケート漬けの毎日になっていて。
そこからノービス、ジュニアまでは、成長期もあったり、反抗期もあったりで、成績はすごく波があって、むしろいい方が少ないけど、ここ一番で勝っていく、みたいなスタイルだったんですけど。
シニアに上がったり、高校生になったりして、だいぶ自分がどんなふうに戦っていきたいかっていうのも明確に分かってきて、もちろんそれが評価されたらうれしいですし、それが練習でやってきたことができなくて悔しかったり、いろんな悔しいも経験してきたし、いろんなうれしいも経験してきて。
最後の最後まで、オリンピックも、自分がこんな形で終わると思ってなかったっていう終わり方もしましたし、世界選手権では、こんなたくさんの人に温かくこの卒業を見送ってもらえるんだ、みたいな感じもあったので、本当に21年間、一言では表せないぐらい、いろんな景色を見てきたなって思います。
毎シーズン多彩なプログラムで楽しませてくださいましたが、一番好きだったプログラムと、これは苦労したなというプログラムを一つずつ教えていただけたらと思います。
一番好きなプログラムが一番困ります。
シニアに上がってからのフリーがほとんど全部好きで、それぞれの良さというか、自分らしさもありつつ、そのプログラムならではの感情だったり表現だったりっていうのがあったので、一番は難しいです。
「アメリ」も好きですし、「ピアノ・レッスン」も好きですし、「マトリックス」も、「愛の讃歌」も好きだし……ちょっと一番は難しいです。
苦労したのは、ローリー・ニコル先生が作ってくださった「ジャネット・ジャクソン」と「単語の2つ」(※発音不明瞭)ですね。
もう尋常じゃないぐらい大変でした。
ローリー先生自体すごく動く方で、2分50秒しかないのにこんなに振りを詰め込むの、っていうぐらい詰め込んで、その流れでジャンプを跳ばせるっていうのが本当にすごいなと思って。
容赦なく詰め込んでくるので、それが一番大変でした。
日本代表として、自分だけじゃなくて周りの選手も一緒に頑張っていきたい、巻き込んでいきたいという思いが坂本選手らしくて素敵だなと思います。
そういうふうに思ったきっかけと、その中でご自身が具体的にどういう声かけや行動をしてきたのか、何か例があれば教えてください。
何の大会かは忘れてしまったんですけど、自分だけが良くできて、他の子たちがミスをして勝てた時に、すごい喜びきれないというか、うれしいけど「おめでとう」って言いにくいというか、やっぱりみんなパーフェクトを目指してやってきてるものだと思うので、みんな全員がベストの演技で、それで誰が一番だったかっていう争いをしたかったんです。
その戦いをするには、もちろん緊張感も必要なんですけど、それは会場に入ってしまえば勝手に湧いてくるもので、でもそれが行きすぎて不安になっちゃったりするのは、本当に実力を発揮する上ではそんなにいらない要素だと思うので、なるべくリラックスして、全員がベストな状態で試合に挑んでいけたらいいなっていう気持ちがありました。
だから試合前に、公式練習とかで「今日の氷どんなんだった?」とか「緊張してきた?」ってダイレクトに聞いちゃったりとか、もし「緊張してる」ってなったら「じゃあ一緒にどっかお散歩行く?」とか、そういう感じで。
自分ももちろん試合があるので、自分にできる範囲内のことなんですけど、それでも一緒に戦う上で、一緒に過ごせるからこそ、みんながベストパフォーマンスになるような動きができたらいいなと思いながらやっていました。
これまで現役を続ける中で、同じ所属の選手だったり、日本代表として一緒に戦う選手だったり、世界の選手だったり、いろんな方とやり取りして関係を築いてこられたと思います。
その中で、逆に自分が支えられたなと思い出す瞬間や、印象に残っているやり取りがあれば教えてください。
特に一番近くで支えてくれたのは、一緒に練習してるクラブの子たちかなって思っていて。
もちろん先生ありきではあるんですけど、やっぱり練習していて自分が納得いかないことってもちろん出てくるので、その時にどうしてもできないと泣いてしまう癖があるんです。
その時に、一緒に練習してる子たちが慰めてくれたりとか、「今こうなってるからジャンプ傾いちゃってるから、もうちょっとこうしたら?」みたいなことも言ってくれるし、リンク内で普通にハグして慰めてくれたりとかもあるので、すごく身近な存在に助けられていて。
だからこそ、オリンピックから帰ってきて「おめでとう」って言いつつ、「私も悔しかった」って言われて、「やっぱそうか」ってなって、余計自分も悔しくなって、またリンクで一緒に泣く、みたいな状況もありました。
今改めて現役生活を振り返って、ご自身はどんな武器だったり、どんな持ち味があったスケーターだと、一言で言うとどう言い表しますか。
武器……。
スケート人生の前半は、本当にジャンプの迫力だったりっていうのがすごい自分の持ち味だし、むしろそれで自分は戦っていくんだってすごく思ってたので、シニアに上がって1、2年目の時は、まだ自分はジャンプを全部成功させないと勝てない、下の点が他の選手に比べて低いので何としてでもジャンプで加点を稼ぐんだ、っていう気持ちでずっとやってたので、最初の方は本当にジャンプが取り柄だったんです。
でも後半になってきて、だんだんスケーティングを学ぶ機会も増えて、そのスケートの伸びだったり、疾走感だったりっていうのが武器になってきて。
そこはやっぱり誰にも負けないところかなっていうのがあるので……一言で表すと、ちょっと難しいですね。
21年間振り返って、スケート人生で一番苦しかった、あるいは道に迷った時期はいつで、それをどう乗り越えていったのか教えてください。
本当に一番苦しかったのは、2019-20シーズン、「マトリックス」1年目のシーズンだったんですけど、その時は本当に、大学1年生になって、学校に行く流れも今までとは変わって、大学のペースっていうのがあまりつかめない時期だったので、そっちも苦労したなって思います。
スケートの方も、その前の2シーズンが平昌オリンピックのシーズンと、その次の埼玉で世界選手権があったシーズンで、その2年連続ですごく頑張った反動がちょうどそのタイミングで来てしまって。
自分がスケート好きなのは変わらないけど、向上心がなくて、一体これは何に向かって頑張ってるんだろうって思いながら毎日過ごしていました。
休んだら怒られるので毎日練習には行くんですけど、何のために練習に行ってるかも分からなくなってきて、3つ目ぐらいのジャンプでも止まっちゃうし、最後まで曲かけできないから体力も続かないし、みたいな感じで悪循環になってしまって。
結局そこから抜け出すことができずにワンシーズン終えてしまって、グランプリも2戦とも4位、全日本も6位という、今までの中で一番悪い成績でした。
ちょうどその年明けたタイミングでコロナが来て、そこで合法的に休みがもらえたと思って、「相当休みたかったんだな」って思ったんです。
最初の1か月は「滑らんってすごい暇やな」って思ってたんですけど、みんなが滑れない状況になって、「今みんな土台は一緒。ということは、今陸でトレーニングを頑張れば、スケートができるようになった時に取り戻すところからじゃなくて、すぐ飛んで、そこからさらに上に行けるんじゃないかな」って思い始めてから気持ちがすごく前向きに変わって、1か月半滑らずに一生懸命トレーニングして、復帰してからはすごく練習にも前向きに取り組めるようになったので、きっかけはコロナで滑れなくなったことでした。
本当に笑顔のスケーターという印象がありますが、そういった性格やキャラクターが競技に生きた面や成長につながった面はどんなところでしょうか。
それと全然関係ないんですけど、現役時代にはできなかったことで、もうしたこと、あるいはこれからしたいことがあれば教えてください。
その性格がいい方に競技につながったかっていうと、むしろ自分の性格がめちゃくちゃ邪魔してて。
このキャラで、真剣に大人っぽいものをやるっていうのが、自分の中ではあんまりできないというか、「こんな人やのに急にこんな大人っぽいのやったら引かれる」みたいに思ってたので、むしろこの性格が邪魔してるなっていう部分はあったんです。
でも、北京が終わってから2シーズン後ぐらいに、「フィーリング・グッド」のフリーをした時に初めて、思い切って普段の自分をしっかり切り離してプログラムができるようになって、「やっとできるようになった」って思いました。
なので、自分の性格が生きたというより、長い間、むしろ邪魔されてました。
引退したからこそできることについては、割と現役の時からやりたいことはやってきたし、食べたいものも比較的みんなに比べたら食べてきた方なので、これをしたい、これを食べたい、っていうのはあまりないんですけど、あえて言えば、引退して一番何が食べたいかって言われた時に、お母さんの作るコロッケが食べたいって言ったんです。
それをお母さんがずっと覚えてくれていて、どうやら世界選手権が終わる前にも練習してくれてたみたいで、3月31日に帰国して家に送り届けてくれる時に、「これコロッケ」って渡してくれたので、それが結構一番最初に来たご褒美でした。
その日中に食べました。
そのコロッケは、ずっと禁じていたわけではなかったんですか。
禁じてたわけではないんですけど、やっぱり食事のサポートをしてもらう上で、油っこいものをちょっと控えるようにっていうアドバイスもあったので、なるべく食べないようにはしていて。
でも、お母さんが作るコロッケっていうのは特別で。
自分が6年、一人暮らししていて、その間、家で揚げ物をすることが全然なくて、油の処理も面倒くさいし、何もかも面倒くさいって思ったら、食べる機会がどんどんなくなっていって。
特別にお母さんからもらう機会もなかったので、お母さんと離れてから全然食べる機会がなかったものって言ったらそれよな、って思って、それになりました。
指導者の道を歩まれるということですが、今後は神戸を中心に、関西のフィギュア界、スポーツ界を盛り上げていきたいというお考えでしょうか。
今、シスメックスのリンクでお教室を毎日開いているんですけど、そこでどんどん生徒さんも増えているっていうのを聞きますし、実際、一般滑走の時間にリンクに人が多いなっていうのもすごく感じるので、そういう影響はすごくうれしいですし、自分もせっかく来てくれた人を手放さないように、もっともっとスケートを好きになってもらえるように、最初は「スケートって楽しいんだよ」っていうのを子どもたちにどんどん伝えていけたらいいなって思っています。
中野先生が、スケートだけじゃなくて道徳や礼儀みたいなことも教えてくれた、とよくおっしゃっていました。
今日この会場にも、シスメックスの皆さまをはじめ、兵庫の皆さんや連盟の方々、それから小さい子たちの声も聞こえているかなと思うんですけれども、そうした大切な方々の前に立つ時、あるいは応援してくれる皆さんの前に立つ時に、自分が人として大事にしてきたことは何か。
それは先生になっていく上でも軸になることじゃないかなと思うんですが、自分が先生としても教えてあげていきたい、人として大事なことは何か、というところを伺えますでしょうか。
何が大事か……。
やっぱり先生方や連盟の方とかは本当に、自分が良くなるようにいろんなことを教えてくださったりとか、家族もすごい近くでも遠くでも、どんな状況でもやっぱり支えてくれましたし。
本当にありきたりな言葉になっちゃうんですけど、感謝の気持ちを忘れないっていうのは、もちろん大前提で。
やっぱり教える立場って、人のためにやるっていうことなので、自分の時間も割いてやってくれてるっていうことですし、相手の貴重な時間を自分に費やしてくれてるっていうことなので、そこにはしっかり感謝の気持ちを持たないと失礼になるので、そういうのはしっかり下の子たちにも伝えていきたいなと思ってます。
もっといいこと言いたかったんですけど、その言葉しか思い浮かばなかったです。

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