2014年ISUグランプリシリーズ第6戦、大阪の大阪府立門真スポーツセンターなみはやドームで開催された「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会(2014 NHK Trophy ISU Grand Prix of Figure Skating)」、男子シングル第4位、日本代表-羽生結弦(Yuzuru HANYU)のエキシビション演技の動画です。
Date:2014年11月30日
曲名:指田郁也 「花は咲く」
花は咲く
指田郁也
2014年ISUグランプリシリーズ第6戦、大阪の大阪府立門真スポーツセンターなみはやドームで開催された「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会(2014 NHK Trophy ISU Grand Prix of Figure Skating)」、男子シングル第4位、日本代表-羽生結弦(Yuzuru HANYU)のエキシビション演技の動画です。
Date:2014年11月30日
曲名:指田郁也 「花は咲く」
花は咲く
指田郁也
ガーベラの花言葉は「希望」「前に前進」
ピンクのガーベラの花言葉
日本では「崇高美」
西洋では「感謝」「思いやり」
一輪のガーベラと共に伝わってきますね。
何で羽生君のジャンプって降りた後の流れが凄いんだろう、、、、。
膝の柔らかさってのも関係してるんでしょうが、、、。
こんな美しいジャンプ飛べる選手他にいない気がする、、、、。殿のネコジャンプも凄かったけど、、、。
長久保コーチがあっこさんに技術がないと表現が生きないと言われたそうだけど、
このジャンプ技術が羽生君の全体を正しく表現者にしている。
やっぱりオリンピックチャンピオンだなぁ、、。
若干20歳、
日本の男子フィギュア界に
とんでもないスターが現れてくれたもんだ、、、。
本当に凄い選手だ。
技術といい
表現力といい
賢さといい
スタイル(顔も含め)といい
謙虚な性格といい
スター性といい、
天が二物を与えた感があるけど、やっぱりそこはうまくできてるんだなぁ、、、
他の誰もが経験しえないようなとんでもない苦難を与えられて、、。
それにしてもこのEXは素晴らしいなぁ、、、、。
今の羽生君とのマッチングが完璧すぎる。
羽生君でしかこの感動は生み出せない。
点数云々言われるけど、このEX見たら、競技で点数出て当然って気がするなぁ、、。
これには、涙しました。
たった4年前までのオーサー氏への疑惑(コーチだけが真っ白なんてあり得ないから)を思うと、ゆづのことも、用心してハスに見てしまう所が有りました。自分。でも、もう、それらの感情はリセットして、応援したい気持ちになりました。
皆さん、こんにちは~!
アスリートの羽生選手の存在をもっと早くから知っていたかったです。
http://d.hatena.ne.jp/yoshiepen/20141228/1419853141#c
今日は3月11日。
また、この「花は咲く」を見たくて、ここに来た。
天使のような舞を通して、私たちに伝えたいメッセージを、もう一度、しっかりと受け止めたい。
本日中、
http://search.yahoo.co.jp/searchfor311/2015/?ln=ja&fr=sf311_tw
このページには、「3.11」が入力済の状態になっているフィールドがあります。
「検索」をクリックするだけで、10円を震災復興支援金への寄附に繋がります。
3.11、またあの日がやってまいりました。
2015.03.08 NHK 「震災4年被災者1万人の声」の放送から、慌てて書き取った、ちょっと不正確な内容ですがお許しください。
『かろうじて津波から逃げる、家族が全員無事。悩みがあったが、贅沢な悩みと感じて、くよくよすることを口に出せなかった。
その後、心の傷が水面下で大きくなってしまった。
避難した校舎へ行き、あの日の光景を語る。
女の人の声、パニックの人間の声。車の中に人がいて流されている。生きているか死んでいるかわからない浮かび上がる人、何で助けられなかったのか。自分は結婚を控えていて、助けに行かれなかった。
その思いが心の傷となったと思われる。』
放送では、これを「生存者抑うつ」と説明していました。その避難場所を見ると、人間だけの力では救助はまず不可能、しかも助けるための道具もない、できることは何も無かった絶望的な状況にも関わらず生じた心の傷です。
過去の発言から、羽生選手も類似の心の傷をおっていたようにもみえますが、「自分だけが逃れて」と、インタビュー等の機会を捉えて表に出して発言したことにより、前に向かえたと思います。
この「花は咲く」を演じるという事をフィギュアスケーターである自分なりの復興の一助とする、という決意のこもったNHK杯での EX だと思いました。
3月11日。
まずは、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
黙祷…
~希望の舞~「花は咲く」に込められた羽生選手の強い思い。
「震災があった事をずっと忘れないでほしい」
そして…
「これを見た事によって、これを聞いた事によって、今何ができるのか。
自分達が残して来たものは何だろう… 過去と今と最終的には未来。
自分自身の人生観の中で、考えるきっかけになればいいなと思っている」
この言葉をしっかりと受け止めて、今の自分が出来る事を考えたいと思います。
空(リス)様、情報ありがとうございます。
朝いちで「検索クリック」させて頂きました。
あの日から4年ですね。
2011年のあの日、テレビの映像にただただ驚きました。
私の身近に1週間以上連絡が取れなかった方がいらっしゃいました。
医療関係の方で、避難所の学校の保健室で救護活動をなさっていたそうです。
勤務地の玄関のコンクリートが地割れし・・・一目散に高台に逃げられたそうです。
後日、忘れないうちにと、手記に残されました。
今も、再建のめどが立っていないそうです。
その時、私はゆづ君を知りませんでした。
ゆづ君は、心が折れそうだった当時の様子を語っていましたね。
きっと、つらかったと思います。
いえ、今もつらいと思います。
いつも、心の中に「復興支援」の言葉があるんでしょうね。
「花は咲く」は、心が洗われます。
いつまでも支援をさせていただくつもりです。
2011年3月11日2時46分
東北大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
生存者の方の心の傷が早く癒えますように
「風の電話」たくさんあればと思います。
羽生選手の「花は咲く」時々見に来てます。
逆に癒されて心が浄化されます。
空(リス)様、検索ありがとうございまた。
あの日から、4年ですね。テレビから流れる信じられない光景を目にして、ただただ涙するしかありませんでした。
4年が経っても、いまだに行方不明の方がいらっしゃる・・・
4年が経っても、復興はまだ現在進行形・・・・
羽生選手の頑張りと、美しい演技は、人々の心を癒し、励まし、明日への希望だと思います。
いつまでも、羽生選手と東北復興支援を応援します。
3.11を迎え、午後3時ごろ黙祷をいたしました。
羽生君は日赤の震災復興支援メッセンジャーに起用されました。私は以前から彼の震災に対する発言を聞く度、襟を正さなくては、という気になります。自分に一体何ができるのだろうか、と自らに問いかける切っ掛けにもなります。直近では近所のスーパー主催の募金活動に参加したり、微力ながら自分にできることを考えています。
「花は咲く」の歌を多くの人に紹介し、皆で歌っていくこともその一つです。
N杯exhibitionはライブで観ましたが、美しく繊細でありながら力強く、何より溢れんばかりの想いがストレートに伝わってくる、本当に羽生君らしい演技だったと思います。心の奥深い所まで揺さぶられるものがありました。この演技に籠められた彼の想いを受け止めて、これからも考え続け、行動に移したいと思っております。
4年目のこの日を迎えましたが、被災地の復興のために小さなことでも自分にできることは出来るだけしようと、改めて思いました。
震災の復興を願う気持ちを忘れることなく、過ごしていきたいと思います。
被災地の皆様に花が咲きますように。
頑張っている羽生選手、そして被災地の皆様に負けないよう、私も頑張りたいとも思いました。
東日本大震災から4年目の3月11日を迎えました。
羽生選手のファンになってから、以前よりも強く、震災のことを忘れない、風化させない、小さなことでも自分に出来ることをひとつひとつ続けよう、と意識するようになりましたが、
NHK杯EXの『花は咲く』、この、魂のこもった美しい舞を生で見て、更にその思いが強くなりました。
NHK杯EXを見た後、花は咲くのメイキング放送の録画も見返し、被災地支援にこめた羽生選手の言葉を改めて噛み締めています。
『自分は何ができたんだろうってすごい今まで感じてました。まあ、今も感じてますし。
ただ、こうやって少しでも、その、被災地のためになる活動を、こうやってできるのであれば、どんどんしていきたいな、という風に思っていたので、すごい、いいきっかけになったな、という風に思っています。
僕が今できることっていうのは、被災地のことを、または、被災した、震災があったっていうことを、ずっと忘れないでほしいっていう思いを伝えていくことだと思うので、被災地のためにっていうのが、まあ、僕の中では多分、ずっと考えなくてはいけない一番大きな使命だと思うので。
これを見たことによって、これを聞いたことによって、今、何ができるのか、自分達が残してきたものって何だろうっていうものを多分考えるきっかけになるし、過去と今と、そして最終的には未来、自分自身の人生観の中で、ちょっと、あの、考えるきっかけというか、そういう感じになってくれればいいなと思っています。』
私も、皆様と同じく、これからもずっと、羽生選手と東北復興支援を応援していきたいと思います。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
そしてご遺族の方々の心の傷が少しずつでも癒やされますように。
「花は咲く」の魂の舞は美しい。歌詞もメロディも心がこもっていて美しい。
しかし、本当にしんどい大変な思いをしている人々のところに届いているのだろうか。
「花はいいから仕事くれ!(こんなセリフ昔ありましたね)」という人もいると思います。
このことでいちばん葛藤しているのは当のゆづ君。彼は自分にできる精一杯のことをしている。私たちはもちろん、そのことをよくわかっている。
私たちにできることは被災地にエールと希望を届けようとするその羽生選手にエールを送り続けること。
2014.07.12 NHK で放送された、
「被災地へとどけ 希望の舞 ~羽生結弦の”花は咲く”~」
の「花は咲く」の作成現場で、羽生選手本人がこの曲を解釈しているので、こちらに簡単にまとめてみました。
(師匠:どんなイメージだった?聴いて、最初に)
「歌詞のイメージですけど、とりあえずなんか、過去を振り返ってるのと、結構今があるのと、でも今はほんのちょっとで、どっちかというと未来で、(師匠:未来だよね)で、最終的には、その”決意に満ちた”とかっていうのもあるし、なんか、しっかりと未来に向けて、いけるようなイメージかなっと思ってます。(師匠:すばらしい)(笑)」
演技は傷ついた花(震災の犠牲の象徴)を拾い上げるところから始め、
(師匠:この花に気持ちを込める感じで)
(師匠:花の方に意識を持っていく感じが欲しいから)
作曲家の菅野さんは、被災地の未来を重ねて編曲しました。
今のテンポが歌いやすいという意見に、「そうなんだろうね、でもこれだとさ、滑る感じをもっと、もうちょっとスピードがほしい感じがする。」
そして、出来た曲に、「切ないとかではなくて、希望をちょっと感じました。」
指田さんの発言。
「今居る場所からあと一歩だけ、という背中の後押しを」
「彼はやっぱりスケートで、人に元気を届けていきたいという部分もある」
曲が大きく転換するところ(イナバウアー)は、過去から未来へ向かう部分であり、
「足上げた方がいい」(師匠:からだの動きがもうちょっとほしいなと思ったのね、あそこ。すごく曲がうぁっと変わるところだから、(演技を見て)そうそうそうそうそう)…「じゃあイナバウアー」
未来へ立ち上がる場面ですね。
この演技は、未来へ立ち上がる復興への思いを示して、共に生きようという希望を象徴するものとなりました。
「復興」と「花」という言葉で、いつも思い出すことが2つあります。
1つは広島原爆の後の出来事で、70年は草木も生えないだろうと言われていた土地に、そっと雑草が生え、花が咲いて誰もが驚き、そして喜んだこと。
もう1つは、3.11後初めて被災地を訪れた皇后様に、避難所暮らしの方が近くで見つけた花を手折り、せめてもの歓迎の気持ちを伝えられたこと。
羽生選手の「花は咲く」の演技を拝見するたびに、人びとの心に美しく、優しい花が咲いていくのを感じます。美しい心、赦す心、優しい心で気持ちを届けようとされるからこそ、表面的、一時的ではない深い感情が相手の心に響くのですね。
かつて16歳の羽生選手が(確か2010年10月の報道ステーションでの)松岡修造さんとのインタビューで、オリンピックで金メダルを獲るのは夢の始まりであり、「10年後になったとしても震災の傷は癒えていないだろう。だからこそ、10年後でも自分は滑って支援をしていきたい」と明確なビジョンを伝えられたことに、修造さんが驚いておられました。私もインタビューなどで多くのヒントをいただいておりますが、せめてものお返しとして、受け取った美しい心、赦す心、優しい心をもってずっと応援させていただきます。
1つ訂正です。
2010年10月の ==> 2012年10月の、です。失礼いたしました。
日付は変わりましたが、復興支援はこれからも続くということで。
言葉に関して少し言わせていただきたいことがあります。
それは、「東日本大震災」は「東北」だけじゃない、ということです。皆さん、「茨城県」を忘れないでね!かなりの被害があったんですよ。
ボランティアで出会った茨城県民が嘆いていましたよ。
そして3.11は多くの台湾の人たちも黙祷してくださったのですよ。「加油(がんばれ)、東北」とメッセージも。
東北では毎年夏になると休みを利用して、アメリカ・カナダから学生さんたちがぞくぞくボランティアに来ます。(だから私たちがボランティアするのは夏以外がよいということ)
また、去年私が仙台で利用したゲストハウスで出会ったニュージーランド人男性は地震直後、すぐボランティアに駆けつけたとのこと。有り難いことです。
NZでも地震がありましたからね。
多くの外国の方の手が差しのべられ、そして今も支援を続けてくれています。そのことを皆さんも知っておいてくださいね♪
実際に宮城に行って、こんな事がわかったのも「ゆづ効果」です。
「花は咲く」は私にとってNo1プロです。
すみません、東日本大震災を東北大震災と書いてしまいました。
失礼しました。
すみません、私も訂正です。
『東北復興支援』と書いてしまいました。
ごめんなさい。
皆様、再びこんばんは。
すーちゃん様のコメントで思い出した、身近な外国からの援助について書いてみます。
先月子供たちが三陸にボランティアに行ったとき、何度も来ているというスウェーデン人の元気な女性がいらして、雪の中でも半袖にスニーカーで、ものすごい早歩きで移動し、普通は男性の手伝う土嚢積みのようなお仕事を慣れた手つきでせっせとされていたとのことです。
あるポーランド人のピアニストは、自分の教会で幾度も寄付を募り、継続的に某被災児童施設に送金し続けておられます。ポーランドでは「頑張れニッポン」というタイトルのチャリティクラシックCDが出ており、未だに売上チャート上位にランクインしています。
忘れないでいてくださるということは、本当に嬉しいことですね。
茨城県の他にも、千葉県や神奈川県でも行方不明のままの方が数名おられるそうですが、東北のインパクトが強くてなかなか話題に登らないようです。
津波の被害はなくとも、内陸の県でも相当な被害が出ました。確かに、東日本大震災といいつつ映像は大抵東北沿岸部を中心に流れますね。言われるまで気が付きませんでした。すーちゃん様、ありがとうございます。
忘れないでいることが、大切なことなのですね。羽生選手も常に「忘れないで」とおっしゃっていますものね。
おまけ:長くなって申し訳ありませんが、ボランティアに行かれないと引け目を感じておられる方に。ボランティアは「自発的に」という意味で、身柄を現地に運んだり、何かしなくてはならないというものではないのですよ。「自発的に」忘れないでいることも立派なボランティアです!
すみません。私も、「東北復興支援」→「東日本大震災復興支援」に訂正です。
イタリアのフォーラムでも、羽生選手のインタとヤフーの1クリック募金とりあげていました。
sophia様、そうなんですよね。ボランティアより普通に「遊びに」行ってほしいですね^^
補足してくださってありがとうございます。
「カリタス」はまたまたラテン語~^^ 「慈愛」ですね。
ボランティアは単独で誰でも簡単に行けるものではありません。私の場合はとある組織と関わりがあったので、コーディネイトしてもらったというわけです。
それに大阪からピーチでひとっ飛びで仙台まで行ける、という便利なところに住んでいるのでできただけのことです。
ちなみに私の友人知人は4年前に茨城や埼玉から大阪の実家に避難してきました。夫を残して子ども連れで。あの時は放射能のことがあって子どもたちが心配だったからです。
(^ー^)ノ♡
NHK杯の『花は咲く』は、結弦選手だけれど、結弦選手ではない……アッは!
精霊サンの舞なのです♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
00:00 good jobの100コメ❗️
ツキ♡は、きています*\(^o^)/*
6選手!全員の神演技♡を期待します。