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世界ジュニア選手権2005  男子表彰式 (解説:日本語)

世界ジュニア選手権05 男子表彰式

2005年カナダのキッチナー(Kitchener)で開催された世界ジュニアフィギュアスケート選手権(World Junior Figure Skating Championships)、男子シングルの表彰式の動画です。


1位 織田信成(日本)
2位 ヤニック・ポンセロ(フランス) 
3位 セルゲイ・ドブリン(ロシア)

男子シングル総合結果(英語)

【男・女アベック優勝】カナダ・オンタリオ州キッチナー(Kitchener,ON)開催、2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権の大会情報、出場選手、結果、動画リンク。女子は浅田真央が優勝、澤田亜紀9位、北村明子14位、男子シングルは織田信成が優勝、南里康晴6位。

『世界ジュニア選手権2005  男子表彰式 (解説:日本語)』へのコメント (12件)

  • 1
    daydream  2009/02/10(火) 15:05:20  ID:eae8e8b2f

    “春は曙 そろそろ帰ってくれないか”

  • 2
    daydream believer  2009/02/10(火) 15:08:14  ID:eae8e8b2f

    我々は、
    常に自分自身を変え、
    改善し、
    活性化させなければならない。
    そうしなければ、我々は固まってしまう。
     
    ゲーテ 

  • 3
    ゲーテ  2009/02/11(水) 09:04:03  ID:42389d71c

    ゲーテの日本語表記
    「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」
    「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」 斎藤緑雨

  • 4
    ショパン  2009/02/11(水) 09:23:49  ID:42389d71c

    「チョピンとは俺のことかとショパン言い」
    大団円

  • 5
    ベートーヴェン  2009/02/11(水) 09:42:23  ID:42389d71c

    18.
    つまらんことにこだわるな。
    誰も気にしとらん。
    お前も貴族に頭を下げる俗物だったからな。

  • 6
    ルートヴィヒ  2009/02/11(水) 10:11:23  ID:42389d71c

    モーツアルトを愛し、魔笛の続編まで試みた。
    頭は良かったがベートーヴェンの音楽には
    「耳が追いつかなかった」

  • 7
    ナポレオン  2009/02/11(水) 10:43:37  ID:42389d71c

    勲章をいつも胸にぶら下げて予を「私の皇帝」と呼んでくれたな。
    予も貴殿も「偉大なる俗物」なんだ。石頭の人道主義者にはこの偉大さは
    分からないのだよ。

  • 8
    シラー  2009/02/11(水) 10:57:29  ID:42389d71c

    「偉大なる俗物」…その通り。
    ゲーテが昔ほど読まれなくなったのはそれが理由だ。
    ベートーヴェンの音楽が今も多くの人を感動させるのは
    石頭の頑固者なればこそである。
    しかし、ベートーヴェンは最後までゲーテの文学を
    敬愛していたんだ。

  • 9
    エッカーマン  2009/02/11(水) 14:28:12  ID:42389d71c

    「人間も年を取ると、世の中を若い時とは違った風に考える様になる」

  • 10
    きみまろ  2009/02/11(水) 15:26:38  ID:42389d71c

    「人間なんてしょせん、おしめに始まりおしめに終わる」

  • 11
    相田みつを  2009/02/11(水) 22:29:22  ID:42389d71c

    つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの
    くるしいことだってあるさ 人間だもの
    まようときだってあるさ 凡夫だもの
    あやまちだってあるよ おれだもの
    愚痴をこぼしたっていいがな
    弱音をはいたっていいがな 人間だもの
    たまには涙をみせたっていいがな 生きているんだもの

  • 12
    健一郎  2009/02/12(木) 03:48:42  ID:2042a3bd2

      その後、私の心がドイツ的なものから離れていってしまったのは、社会全体の潮流と無関係ではなかっただろう。
    ドイツの文化世界は、人間や世界に対する深い洞察に満ちているものの、ますます機能主義的に、そして実際的になっていく現代の中ではなかなかその位置を見つけにくかった。
    ドイツ文化の独特の感触に通じていたとしても、どんなことも短い時間で割り切っていこうとする今日の人類の「パス回し」の中では取り残されてしまいがちである。
     「ドイツは遠くなりにけり」。
     私個人の人生においても、世界全体の趨勢においても、そのような感慨を抱かざるを得ないような時間の流れが続いた。
     それが、この二三年か、徐々にドイツ的なものが気になり始めていた。
    インターネットが普及し、グローバリズムが進行する中で、何ごとも英語中心主義でやることへの懐疑が首をもたげ始めたということもあるのだろう。
    ドイツ語の運命は、日本語の運命でもある。
    地球環境の問題への覚醒から、「多様性」をこそ志向する現代の潮流の中で、英語一極主義は明らかに反動的である。
     それにしても、ドイツのことが、なぜこのように気になっていたのだろう。ドイツの文化や、言語が、忘れかけていた「宿題」のように思われるのはなぜか。干天に慈雨を求めるごとく、無意識の中からドイツ的なものを探究する衝動が生まれてくるのはなぜか。
     その答えを求めて、かの国への「冬の旅」に出かけた。きっかけは、ドイツが生んだ大作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハである。