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佐藤駿 3.11と羽生結弦への想い|震災の経験と仙台のスターを目指す歩み
ミラノ・コルティナ五輪でメダルを獲得したフィギュアスケートの佐藤駿選手。宮城県仙台市出身のスケーターとして、東日本大震災の経験や、同郷の先輩・羽生結弦さんへの思いについて語った独占取材動画が公開されました。
この記事では、佐藤駿選手が震災当時の記憶や競技への原点、そしてこれから目指すスケーター像について語った内容を整理して紹介します。
出典:YouTubeチャンネル「日テレスポーツ【公式】」
■ 震災とスケート人生の原点
佐藤駿選手がスケートを始めたのは5歳。小学生の頃にはすでに3回転ジャンプを成功させるなど、早くから将来を期待されていました。そんな佐藤選手が憧れていたのが、同じ仙台出身の羽生結弦さんです。
幼い頃から同じリンクで練習し、羽生選手から弓矢の形をしたペンダントを贈られたこともあったといいます。その存在は、佐藤選手にとって大きな目標でした。
■ 7歳で経験した東日本大震災
2011年3月11日、佐藤選手は7歳。学校で「さようなら」をした直後に大きな地震に見舞われました。自宅は半壊し、家族とともに東京の祖母のもとへ避難。練習していたリンクも被災し、スケートから離れざるを得ない時期がありました。
その経験について佐藤選手は、「できるというのは当たり前ではない」と気づかされた出来事だったと語っています。
■ 羽生結弦の金メダルが生んだ夢
震災から3年後、2014年ソチオリンピックで羽生結弦さんが金メダルを獲得。仙台では大きな歓喜に包まれました。
リンクでその瞬間を見ていた佐藤選手は、「羽生さんのようなスケーターになりたい」と改めて強く思ったといいます。そしてオリンピックという舞台を目指す決意を固めました。
その後、14歳で日本男子史上最年少の4回転ジャンプ成功。現在では5種類の4回転ジャンプを跳ぶ、世界屈指のジャンパーへと成長しています。
■ 羽生から受け継いだ“地元への思い”
2022年、憧れだった羽生結弦さんが北京オリンピックを最後に競技から退きました。しかし、復興支援やリンクへの寄付など、地元を思う活動は佐藤選手の中にも強く残っています。
「あの時の経験っていうのが、すごい今にも通じる部分があるのかなと思います」
東日本大震災から15年。佐藤選手は、地元への感謝を忘れず、自分の演技で恩返しをしたいと語りました。
■ まとめ
この動画では、佐藤駿選手の競技人生の原点とも言える震災の経験と、羽生結弦さんから受けた影響が丁寧に語られています。
東北出身のスケーターとして、次の世代の希望となる存在を目指す――。そんな思いを感じられるインタビューとなっています。

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