
東日本大震災から15年となる3月11日、羽生結弦が復興への思いや震災との向き合い方を語ったインタビュー動画と、震災当時の足跡をたどる特集動画が公開されました。この記事では、まず『every.特集』で描かれた印象的なシーンを簡潔に整理し、その後にインタビュー動画のタイムラインと発言全文を掲載します。
『every.特集』で描かれた印象的なシーン
まず紹介したいのは、『every.特集』として公開された
【東日本大震災から15年】羽生結弦がたどる震災当時の“足跡” 今、伝えたい思いとは
です。
この動画では、羽生さんが震災当日に家族と避難した学校を訪れ、当時の体育館や給水車の記憶をたどっていきます。避難所で撮影した写真を今も持ち歩いていること、「忘れてはいけない光景」と語る場面は特に印象的でした。
また、震災後に仙台を離れて練習を再開した際の葛藤や、ソチ五輪で金メダルを獲得したあとも残っていた「無力感」にも触れられています。その一方で、被災地訪問を通じて、自分の演技や結果が人を笑顔にする力を持っていたと知り、「自分には役割がある」と受け止めていく流れが丁寧に描かれていました。
終盤では、毎年3月11日に鎮魂の思いを込めて演技を続ける理由と、希望の光を目指して祈りを捧げる現在の心境が語られます。震災当時の記憶から今の表現活動までが一本につながる、静かで重みのある特集でした。
出典:YouTube動画「日テレNEWS」
【インタビュー全文掲載】羽生結弦「唯一見えた光は星空。そんな存在になれたら」
羽生結弦が、震災から15年の節目に復興への思いを語ったインタビューです。メンテナンス期間の取り組み、震災当時の記憶、オリンピックで感じた使命感、そしてプロとしてこれから伝え続けたいことまで、本人の言葉でじっくり語られています。
🎥 インタビュー動画(ノーカット)
- 00:00 インタビュー開始
- 00:22 メンテナンス期間で取り組んだこと
- 01:20 復興をテーマにしたショーを終えて
- 02:10 震災から15年経っても変わらない感覚
- 02:56 震災直後のチャリティーショーへの思い
- 04:01 オリンピックと震災への使命感
- 04:58 被災地の反応を見て感じたこと
- 06:33 平昌オリンピックへ向かう心境
- 07:28 プロ転向を選んだ理由
- 08:11 これから見せたいスケート
- 08:50 毎年3月に感じる心のざわつき
- 09:42 防災意識を世界へ広げたい思い
- 10:44 ファンへのメッセージ
出典:YouTube動画「tbc東北放送 公式YouTube」
※インタビューコメントは要旨を整理して掲載しています。
オリンピック連覇、そしてプロスケーターとしてご活躍中の羽生結弦さんに、3月11日の今日、さまざまなお話を伺っていきます。先日のショーなどもありお忙しい中、ありがとうございます。
羽生結弦:ありがとうございます。
羽生さんは去年からメンテナンス期間ということで、しばらくショーの出演を控えていらっしゃいましたが、この間はどのように過ごされていたのでしょうか?
羽生結弦:そうですね。自分がよりうまくなるために、より強くなるために、体の作り方とか、体の動かし方、操作の仕方だったりとか、そういったことを本当にゼロベースから、1から作り直していった期間でしたね。
新たなインスピレーションや発見などはありましたか?
羽生結弦:そうですね、もちろんいっぱいありました。ただ、今までも「これができていたから自分はこういうジャンプができていたんだな」とか、「こういうスケートができていたんだな」という発見とともに、「あ、こんな一般的に簡単なこともできていないんだ」というところももちろんあったので、そこは強化し続けたいなと思いました。
やはり自分を客観的に見つめる、そういった機会になったのでしょうか?
羽生結弦:そうですね。あとはまだまだ伸びしろがいっぱいあるんだなということを再発見できたので、楽しみかなというふうに思います。
そんな中で、利府で昨日までの3日間、復興をテーマにしたショーを行われたということで、久しぶりのファンの皆さんの前での舞台はいかがでしたか?
羽生結弦:やっぱり演技を見ていただくことはすごく嬉しかったです。ただ何より、今年は15年ということもありますし、3.11があった日から、ずっといろんな災害が起きてしまっています。僕らはその前の時間には戻れないですし、なかったことにはできないですよね。だからこそ、僕ら生かされている身としては、あそこから学び続けて、これから守れるものを守っていきたい。そんな気持ちをずっと続けていけたらなと思っています。
アイスリンク仙台で練習の途中に被災され、避難所生活なども経験されて、ごつらい思いをされたと思います。そのあたりを振り返って、改めていかがでしょうか?
羽生結弦:15年経った今でも、先ほどのVTRにもありましたけれども、本当に1年目と何も変わらないような感覚があります。また、メッセージでも出ていましたけれども、1月半ばくらいから「ざわざわしている」という方がいらっしゃるように、僕自身も1月くらいから心が落ち着かないような日々を過ごしていました。15年経っても、皆さんそれぞれ傷を抱えていらっしゃるし、それに向き合う時間も必要なんだなと思います。
震災直後にはチャリティーショーも開催されました。そのときはどのような思いで臨まれたのでしょうか?
羽生結弦:僕は参加させていただく立場だったんですけれども、周りが本当にぐちゃぐちゃになっている中で、正直、僕がスケートを滑っていていいのかという後ろめたさもありました。でも、僕が落ち込んで何もできないよりは、少しでも誰かの力になりたい、東北の力になりたい、宮城の力になりたいという思いで参加させていただきました。
当時、多くのアスリートが「スポーツをやっていていいのか」と悩んだという話はよく聞きましたよね。
羽生結弦:はい。ただ僕自身も、楽天イーグルスさんやベガルタ仙台さんの素晴らしい活躍に勇気をいただきましたし、「こういう存在になりたい」「こういう存在でありたい」と思いました。
その後オリンピックを目指し、2大会連続の金メダルを獲得されました。オリンピックに臨むにあたって、背負うものが増えてプレッシャーも大きかったのではないでしょうか?
羽生結弦:そうですね。使命感みたいなものは正直あります。ただやはり、オリンピックでメダルを取りたくてずっとこのスポーツをやってきたので、そこにたどり着けたことは嬉しかったです。また震災というものが自分の中に背負わざるを得ないものになっていると思うんですけれども、このメダルがあるからこそ、被災地の方々や出会ってくれた方々が笑顔になってくれるきっかけになる。そういった意味では、この活動も金メダルも誇りに思っています。
「希望を与えた」と簡単には言えないとお話されていましたが、被災地の反応を見てどう感じましたか?
羽生結弦:本当にとにかく嬉しかったです。正直、オリンピックの演技のときは震災のことを考えている余裕なんてありませんでした。パフォーマンスで精一杯でしたし、緊張して何度も苦しんで、なんとかその舞台に立っている状態でした。だからこそ、自分が直接復興の役に立てたわけではないと思っていました。でも演技のあと、地元の放送局の方々が被災地を訪問してくださったり、皆さんの笑顔を届けてくださったことで、自分のためにやってきたことが、こんなにも誰かのためになっているんだと知ることができて、本当に頑張ってきてよかったと思えた瞬間でした。
そこから平昌オリンピックに向かう心境はまた違うものだったのでしょうか?
羽生結弦:ものすごくプレッシャーがありました。19歳から24歳というのは、フィギュアスケート選手として一番脂が乗ってくる時期でもあります。その後は一般的にはピークを過ぎると言われることも多い競技なので、「ここで取らなきゃもう取れないかもしれない」という覚悟のような気持ちでした。自分のためでもありますが、期待してくださる方々に結果を届けたいという気持ちは強くありました。
2022年にはプロ転向を発表されました。なぜ引退ではなくプロ転向という道を選ばれたのでしょうか?
羽生結弦:自分の中ではまだまだうまくなれるという実感が強くありました。正直、自分のスケートにも体にも満足していません。「引退」という言葉だと、競技として力が落ちていくイメージがありますが、僕の中では「もっと上手くなりたいから転向する」という気持ちだったので、プロ転向という言葉を使いました。
これからどんなスケートを見せていきたいですか?
羽生結弦:僕は男子シングルスケーターなので、ジャンプもスピンももっと上手くなりたいです。どんどん上手くなっていく姿を見せながら、そこに感情を乗せられるスケーターでありたいと思っています。そしてその感情の中には復興への思いもあります。これからもずっと活動していきたいです。
毎年この時期になると心がざわざわするというお話がありましたが、それは今後も続くのでしょうか?
羽生結弦:正直分からないです。時間が薬になって少しずつ変わっていくのかもしれないし、新しい世代が増えていく中で、僕たちが伝えることは苦しみだけではないと思います。苦しみを乗り越える時が来るかもしれないし、ずっと持ち続けるのかもしれない。それぞれの向き合い方で、震災と15年間向き合ってきたし、これからも向き合い続けるんだろうと思っています。
防災への意識も世界に広げていきたいという思いはありますか?
羽生結弦:そうですね。能登や大船渡の火災の地域などにも行かせていただきましたが、「3.11があったから避難訓練ができた」「マニュアルが作られた」という声をたくさんいただきました。僕を応援してくださる方は世界中にいます。その意識が広がって、世界が平和になっていったらいいなと思っています。
最後に、被災地を含めたファンの皆さんへメッセージをお願いします。
羽生結弦:いつも応援してくださりありがとうございます。僕もこれからもずっと宮城県のことを応援し続けますし、震災についても少しでも支援ができるよう考え続けていきたいと思います。これからも宮城県民として、宮城を応援していきます。いつもありがとうございます。
羽生結弦が語る震災から15年の思い|宮城県民へメッセージ「また伝えていく」
震災から15年。羽生結弦さんが、被災地を訪れ続ける中で感じてきたこと、そして今も伝え続ける意味について語ったインタビューです。宮城県民としての思いと、県民へのメッセージがまっすぐに届けられています。
※インタビューコメントは要旨を整理して掲載しています。
15回目の3月11日を迎えるにあたって、今の羽生さんのお気持ちを聞かせていただけますか?
羽生結弦:宮城県民としては、やっぱりあの日になるといろんなことを考えますし、黙祷を欠かしたことはないですし、様々な魂に向けて祈りはずっと込めてきたつもりです。
羽生結弦:もちろん東日本大震災っていうのは、東北であったり、東日本の沿岸であったり、いろんなところでいろんな被害があって大変ではあったんですけど、僕は能登を訪れたり、熊本を訪れたり、北海道を訪れたり、いろんな被災地を訪れた時に、やっぱり東日本大震災以降の被災された方々って、「東日本大震災があって、こういう教訓があったから、こういう行動をしたよ」っていう方々がたくさんいて、きっとそれによって守られた命であったり、守られた大切なものっていうのが、たくさんあるんだろうなっていうのを感じてきました。
だから、この15年間はきっと無駄じゃなかったと思うし、かけがえのないものを失ってはしまったけれども、ちゃんと学んでこれたんだなということも思いましたね。
羽生結弦:宮城県の皆さん、おばんです。羽生結弦です。
あれから15年という時が経ちますけれども、宮城県民としてはやっぱり節目ということではなくて、またもう一度伝えていくということを改めて考え直す。
そして、私たちが負ってしまった傷であったり、そういったものにもう一回向き合って、もう一回抱きしめる、そんな日にできたらいいなと自分は思っています。
そんな方々の力になれるよう、自分もいっぱい滑っていきます。頑張ってください。

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